啼かない雌もキジ2009年05月09日 19時57分16秒

飛び出たキジの雌
雉も鳴かずば打たれまい、と言うのもほとんど、いえ、例外なく雄のことで、雌は啼きません。ただキジは突然飛び出てくるので目立ちます。意外に逃げ足も速いのですが、もたもたとことこと走るので撃たれやすいと思われるのは無理もありません。でも、キジの雌もキジとして生きています。啼かなければ撃って良い、のでもないからですし、啼いたから撃てばよいのでもありません。生きるための食餌の時間はその一瞬を元に彼らに与えられているからです。

人が人間として尊重され、人格も人権も社会的に認められ、不可侵の存在として欠くべからざる者とされることは生得的な権利であり、現代においてはそれは必然です。過去の歴史に鑑みるまでもなく、今に至ってそれも時として、場合により、などとは決して述べてはならないのです。言うまでもなく、そういった言動、行為は許されてはなりません。ましてや、誰か一人だけをよってたかって排撃するなど、到底、許容されうるものではありません。

存在そのものが生そのものであり、泣かないから、啼かないから、だから哀れむべきでもない、情けをかけることでさえない、などとは絶対にいえません。雌のキジもそうあらん、としてあるのではなく、生得的に生きる存在であり、私たちもまた、一人であっても、どんな社会的な苦境にあってもその存在は否定されません。求めなければならないのはその実際の行為と発言とによって対等な存在を可能ならしめる人間としての存在であり、ましてやそこに意思表示の無い存在が他者によってないがしろにされていいはずはありません。いうまでもなく、そのために一方的に決められる理由も原因もあり得ません。その存在の理由も考える故の存在も機会も奪われることは絶対にあってはならないのです。