冬の一日2007年02月11日 21時22分13秒

きょうの気温は一日中変わらず、4℃ほどで推移しました。北からの冷たい風と雨あられ、みぞれに時雨れて外に出られず、運動欲求が高まりながらもじっと我慢で欲求不満の長い一日でした。

こちらの冬と言えばいつもそうで、それでも雪があれば晴れ間には雪をいじることで多少は解消できるのですが、冷たい雨の中では困ります。芽吹き始めた木々や草花も凍えたことでしょう。こういった寒暖の差は例年の比ではありませんから、もつ植物とへたってしまうのとに分かれるのかもしれません。

我慢や辛抱、あるいは努力、などといった執拗な抑圧と強要は、本来、無教養な無知から出ています。私たちがなすべきはそういった力に対峙し、変えていくことなのです。いつまでも思い通りにはさせませんから。

破壊の始まり2007年02月12日 23時40分23秒

田んぼを掘り始めた道路建設場所
道路建設、そのために大切に受け継いできた祖先からの田畑を売り払い、温暖化はもちろん、環境汚染の元凶の大きな一つである内燃機関による自動車のために無理矢理行う犯罪行為です。

声高な反対の声も、もちろん阻止・中止させるための運動も行われません。しようものなら、袋だたきに遭いかねません。でも、ほんとに心から、元の土地所有者たちも、周辺地域住民も、諸手を挙げて自動車専用道路の高架を含む建設を歓迎しているのではありません。山を縫い、木々を切り、文字通り根こそぎ地面も山肌も削って、そうまでして高速自動車道を敷設しなければならない必然性も地域的な生活上の要請もありません。

生活道路なら、多数が賛意を示すかもしれませんが、専用道路に本質的な必然性はありません。そんなことに大切な税金を使うのは犯罪行為です。止める者はいませんが、機会あるごとに叛旗をひるがえしてことばで語ろうと思っています。でも、写真のように(わかりにくいかも)、すでに破壊は進行しています。このすぐ東北は緑あふれる山なのです。

晴れた朝の船二題2007年02月13日 21時00分31秒

小さな漁船と高速(に見える)艇
ちょっと絵になる、そんなけさの風景でした。西の海岸遙かに、一艘は静かに(漁としての)釣りを、一隻は急いで漁場に向かう、そんな対照が朝日に映えていました。外海でどうして、どのような漁を行うのか、まったくわかりませんが、昨日の夜は遠くにイカ釣り船が灯火を照らして浮いていました。

まったく見えない海域でも盛んでしょうけど、何とか見えてやっている、そんな情景は春の海によくなじみます。船の題ごとにいつものことですが、そんなまったりとした、たおやかな感じさえする海の上の光景は和ませてくれるところがあります。いつまでも、と願います。

でも、それを脅かすのはまた、私たち自身でもあるのです。魚そのものを奪うのも、その成長を阻害するのも、その回遊を遠ざけるのも、私たちの活動の結果なのです。分かり切っている、と叱る人たちがどれほどのことを行い、あるいは顧みて直そうとしたでしょうか。まず、見つめ直すこと、事実をとらえることから始めることです。

春一番と花異変2007年02月14日 21時15分21秒

ヒメオドリコソウの花
昨日の夜から強い南風が吹いていましたが、きょうはさらに強くなりました。 それもぬくぬくとした感じの空気で、アメダス観測点(海寄りで湖のそば)では17℃を超えた記録です。春先にしても暖かすぎて、異常そのものです。

それで(前後しますが)歩いていて畦に見つけました。ヒメオドリコソウの花が早くも一面にある群落を成して咲いていたのです。まだ2月の半ばなのに、これもまた、この間のキンポウゲ(まだ咲いています)と同じく、暖冬異変そのものでしょう。

午後は一変、北風になったかと思ったら、雨が降って気温は6℃から7℃一気に低下しました。寒冷前線の通過に伴うもの、とありきたりの「説明」をしても、きょうの異常さは特筆すべきです。そして、これはこれからも頻繁に起こることが予測されます。待ったなし、の今、まず感じて、考えなければ。まだ手遅れではない、とのパリの(IPCC会議での)エッフェル塔の垂れ幕を信じ、行動と対策に走らねばなりません。

冬みたい2007年02月15日 21時26分11秒

朝から寒く、数時間後冷たい風雨で強くなりました。夜になると風がとりわけ強まり(もちろん、北風)、寒さを一層強くさせていました。でもこれでは、何もかも、生き物の体も心も弱ってしまいます。気持ちが萎えるのですね。

昨日とは14℃以上の差で霰も降ってきました。異常さの中でも、やはり寒さは苦手です。体の慣れよりも、心がよけいにふさいでしまいます。

春は名のみの、でしょうか。

どうして汚すのか~繰り返される愚行~2007年02月16日 21時17分37秒

川底の砂利をほりあげる馬鹿
今朝、川の中でまだ早いのに、XXXX建設(どこが建設か!)のおっさんが重機を持ち込み、トラックまで引き込んで、何のためなのかわからない「浚渫」のような作業を始めました。この岸辺は山の下付近でようやく葦などが茂ってそれなりによくなってきていたのに、こともあろうに大切な川底を掘ってしまったわけです。

いうまでもなく、必然性などありません。そうでなくても、この川の水は青白く濁りがちで、しょっちゅうこんな感じでなぶるもんだから自浄作用が極端に弱っています。とくにこのあたりは流れもよく、水鳥などがしばしばおとずれてきていましたが、今年は暖冬のせいか、彼らもいません。土建屋の保護のための「仕事」を無理矢理しているのです。

この町にはこれもまた、環境保護の思想、思考が極端に欠けています。やってはならないこと、壊してはならないもの、汚してはいけない場所を平然とないがしろにして何も感じていないかのようです。そういった愚行の形を変えた反復はこの町だけではなく、なんかかんかの理由をつけ、そこかしこで、日本中で行われています。もっと、現実を見据え、私たち自身の痛みとして捉えなければ、何もかもが、どんどん、すさんでいきます。

ごみのダム化2007年02月17日 21時31分48秒

ダム化した逆流水の中のごみ、ゴミ
これもまた、心なきヒトのなせる技です。農業用水路に昨日の冬のような強風で水が逆流して海からのゴミを集めて溜まってしまいました。ちょうどそこが落ちたり吹き集められたりした枝や枯れ木などと一緒にダム化しています。

冬は特に、海岸にはゴミが多く流れ着き、というより、打ち寄せられます。よくも、と思うほどに大量の多種多様なごみがあるのです。中には、朝鮮半島からの明らかな有害物質の容器なども(おそらく、中身も海に捨てられたのでしょう、恐ろしいことに)ときとして大量に上がり、問題になったりします。それらがさらに内陸に入ってくるのです。その危険性と有害性が問題です。

すべて、人間の作り出した「廃棄物」なのです。どう後で繕ってみても、最初から、仕舞いにはごみとなることは明白だったはずです。不要になったら100%回収される方法や形態を生産する前から考えてしかるべきです。良心的な人々がいくら適切に処理しようとも、大多数は捨てるのです。それも、その辺やあの辺りです。ごみは拾えばよい、回収すればよい、キャンペーンを展開すればよい、では解決しません。清掃活動やクリーン作戦で追っつくほどわずかな量ではないのです。あまりに、多くを無駄に造りすぎているのです。

紅梅、満開2007年02月18日 21時03分25秒

中途の道の紅梅
県道の、北に向かって右手の家の庭の梅が梅干し色に満開でした。また、山のすそのの梅も白い花を3分ほど咲かせていました。きょうは出向いてはいませんが、南の山裾の梅林には紅梅があり、一斉に咲くと見事です。遠いのでいきませんが。

きょう初めて気づいたのですが、おそらく数日から一週間前には咲いていたはずですから、やはり、早咲きといえるでしょう。昼間で10℃ほど、早春というのにはすこし高めです。

木々にも花がつき始めて、春が始まるこの季節はどこか、寂しく、悲しく、つらいところがあります。わたしにとってのこの季節はうれしさよりも悲しみと苦しみばかりでした。暗転の季節です。

アオサギの亡骸2007年02月19日 21時18分21秒

折れて落ちたアオサギ
いつも通る私にとっての「道」のすぐ北にありました。中くらいのアオサギでしたが、首のところから折れていました。前日の北の強風でバランスを崩したか、何か風の乗り方、避け方を誤ったか、ひっかかって運悪く強い風とそれによる木々の揺れでどうしようもなく折れたのでしょう。

線路上の動物の場合はよくあること、ですが、鳥のこういう姿はそんなに多くはありません。彼らでもしかし、電車にたまたま当たって落ちて、というケースもあります。これは1年ほど前に見ました。彼らの場合、風に乗る、ためにそんな事故は少ないはずですが、このごろの強風はその頻度を高めるのかもしれません。これもまた、暖冬の影響です。

道は本来、そういった出会いさえもあり得る進路です。道路とは違います。自動車道路には歩くことの喜びも楽しみも、また出会いもありません。逆にその「建設」という名の破壊により、さらに多くの(数え切れない)命が奪われるのです。山の下の偶然の鳥の死とは比べものになりません。道路はもうこれ以上は要りません。

山上のシジュウカラ2007年02月20日 20時55分07秒

向きを違えたシジュウカラ
山の森の端の木にとまってくれた四十雀は太陽の光を背に受けて反対方向を見上げていました。きっと明日を見たかったのでしょう。幾羽ものシジュウカラが飛び移っていましたが、その方向を見つめていたのはこの一羽だけでした。どこか、違う道筋を見いだすこと、そんな思いはその形を造り上げます。

地上、平地での彼らはあちこち飛び回っていて行方が定まらないことが多いわけですが、山の中では一方向に移っていくことがふつうです。斜面とその形成にその主因を求めるのが通常でしょうが、実際の山中は変化もあり、木立の造りもさまざまです。また、群れでの移動が主ですから、自ずとその方向は流れを形作るのです。

異なる光を感じていたその四十雀(シジュウカラ)はきっと何かを―私がそう望むように―見つけてくれると信じます。風も時間も揺らぐのです。その気持ちがそれを見いだすのです。