鳩山政権への期待 ― 2009年09月16日 21時49分31秒
食糧自給率、まだ41%にとどまる現在、農業政策も喫緊の課題のひとつですが、食の安全と両輪となる問題だけに、個別所得補償制度だけで(実質的に、と読める)本当に日本の農業を維持再生できるのか、はなはだ疑問です。今日の写真のように、水田からの転作の大豆はかなり輸入し、最も不安な農作物のひとつでもあり、充分な量と質を確保できるのかはまさに、いままでのような農林水産省主導の政策では見通しは暗いわけです。政治主導でなんとしても変えなければなりません。写真は規模の小さな田舎の大豆栽培地ですが、それでも自動収穫機械を導入してやっています。現実には担い手こそ最大の問題でしょう。
それでも、笑うことも微笑むこともなく記者会見で述べている鳩山総理大臣を見るにつけ、上からの変革の無理は承知でも、果たせるかな、1世紀戻ってでも明治の気概さえも抱いて大きな一歩を踏み出そうとしている姿を(テレビながら)目の当たりにして、実現していくことをそのまま生活への成果として実感できるよう、やり抜いてもらいたいと念じてしまいました。最初こそ、実感できる速さと力強さを発揮してどんどん、とにかく、変えるのだ、という信念をもって取り組んで、まず、何かを示してほしいと思うのです。ほんとに、期待しています。変わらない企業誘致 ― 2009年09月17日 22時15分00秒
それももちろん、心から歓迎している人など、実際にはいやしません。でもこれも次第に減額、税収の減少に伴い役場などは手を打ち出しました。その一つが数年来の企業誘致で、2カ所に聞いたこともない会社を持ってくることになんとかしましたが、雇用は正規で数人、後はパートであり、主な目的は税収の確保だと思えます。また今度は、海岸沿いにあれていた土地(でもそのおかげでノイバラやオカトラノオをはじめ多くの植物が育っていて、野鳥も季節ごとにやってきていました)を整地して呼び込むことをもくろんだのでした。その一つがきょうの写真です。○○電子ビーム、とかいう「会社」で、その事業所・施設ができるらしいのです。
でも、こういった手法や他力本願の繰り返しによって、果たして本当にこの町や田舎は維持再生できるのでしょうか。現実に各地で行われ続けている方法であり、それもたとえば不況や盛衰の影響とか結果によってたやすく崩れます。このやり方で地方の活性化や拡大・発展(この定義や意味づけは問題ですが)につながったという話は残念ながらまったくありません。なんとかもっているのは、昔ながらの環境や地場産業・伝統産業をうまく継いでいる土地だけではないでしょうか。こういったところにも、鳩山内閣の原口総務相も目を向けていただきたいと思います。あれもこれも、では手は回らないでしょうけど。でももちろん、住んでいる我々自身で根本から考え直す必要と機会だとはいうまでもなく、少なくとも私は自覚しているのですけど。お見舞い ― 2009年09月18日 19時01分53秒
ビルのような病院の高層にある病室で、私ならとても落ち着いて居られそうにない場所で、何かあったらどうするのか、と別の心配もしてしまうような空間です。曇り空で熱も籠もったような気候、そのせいか、伯母さんも微熱があり、水枕をしてもらいました。意外と元気そうで、空元気でなければいいけど、とまた心配しながらも帰途についたのでした。
近くでは済まない病気や怪我など、田舎では不便なことがあります。地方の時代、と喧伝されても実際のところ、過疎化や高齢化、地域経済の衰退など、都会の視点では到底及ばない現状をまた見たわけで、疲弊し枯渇する一方のこの国の周縁部にどういった策を取るべきなのか、現実のやりきれなさをぼんやりと考えた一日でした。貧しさと空しさ ― 2009年09月19日 20時37分41秒
台風の影響で強くまた少し熱を回されたかのような風の吹き付ける青空、どこか空しさを感じさせます。稲刈りをしている人たちもまた、それほどの収穫の喜びも充実感も決して生まれてはいないはずです。米価の下落と下止まり、いえ、農産物価格の低迷、食生活の、口当たりのいい言い方としての「多様化」、農政の貧困が招いた現況を変わらないように見える秋の情景に直視しえるのならその人は本物でしょう。伝えられるところによれば、赤松農水相はそれほど通じてはいらっしゃらないとか。政治主導で本当に危惧される日本の農政、だけでなく一次産業全体を希望ある方向に導けるでしょうか。
住む人間たちもまた、人を人とも思わず、平然と暴言や抑圧や迫害、蹂躙を屁とも思わないかのような言動を繰り返します。いつからそんなに貧しい心根の人たちが増えたのでしょうか。いえ、表に現れてくるようになったのでしょうか。法も倫理も無力に見えます。暴力や非道にはその矛先を弱い人や自分たちに及ばない方向に振り向けようとして卑怯な行いが目立ちます。その実、本当の、根本の責任や原因はそうしている人たち自身にすべてあったのに、です。吹きすさぶ風と青天井を見つめていると、本当に、空しく虚しくわびしくなります。かつての気概や精神はどこに消えたのでしょうか。何よりも変えなければならないのに。平然と平気で異常 ― 2009年09月20日 21時36分40秒
人を見たら背後や離れた場所から何かを言いつける、そんな行為を平然とためらいもなくして平気でいる、そんな日常を異常とは思わない人たちが増えています。信じられない状況です。時に、列車内でも声高に聞こえよがしに騒いだりする、そんな若い群れもいます。はっきり言って、異常です。弱い人、絶対少数の無抵抗なおとなしい人を狙ってなんとも感じない、酷いことだとも考えない、そんな「無傷にいられる」空恐ろしい人間をこの社会は育てています。
人間としていちばん恥ずかしい、憎むべき最低の行為言動に誰かがするから、言うから、そんな簡単な理由でいっしょになる、ちょうど子どもたちの中でのいじめと同じで、いえ、それももちろん、決して許されないことで、いまだ大人さえも自覚さえしないままに赤信号みんなで渡れば怖くない、の式で為す行動に幻滅や失望くらいでは済みません。私はしない、そんな小さな、いえ、立派な勇気をもってほしい。ことに、若い人ならなおのこと、子どもならいうまでもなく、抜け出る勇気、止める勇気をこそ育てたいし、自ら学んでほしい。いつもそう思い感じる生活とは、しかし、やはり、異常です。自然の中で出会いたい ― 2009年09月21日 20時14分24秒
山の入り口、林縁になぜか、写真の低木の白い花がひとつだけ咲いていました。鋸歯のある暗緑色の細身の葉は互生で幹は明るい灰色、ぼつぼつとしたふくらみもあり、濃い緑の中の違った姿はあまりに不釣り合いでした。自然の樹木とは思えません。でも、そんな立花に目を惹かれる午後の光の中、幻想や夢想に思い至る時間は誰しも持ちたくなるものです。誰かと、出会えたら、と。
光原百合さんの連作短編小説集、『時計を忘れて森にいこう』に心惹かれる私ですが、なかなか、そんな機会も「初々しい」女性も少女も現れません。清楚で清らかな、汚れを知らない美しい大きな花。白い色はその色そのものでしょう。周辺にはゲンノショウコの白いきれいな花が盛りで、道々を覆って導いてくれているようです。そう、森へ行きましょう。娘さん、私が守ってあげますから。私が命を伝えますから。増えてもいない ― 2009年09月22日 23時00分00秒
午後も道すがらも飛ぶ蝶は多くはなく、いつもの山への筋ではやはりいつものモンキチョウ、アゲハチョウ、地面に近いところではヤマトシジミ、花々の周辺はセセリチョウの独壇場です。ヒョウモンチョウではツマグロヒョウモンばかりが目立ちます。どこか、彼岸はさみしげで、この種類の少なさはこの地域の姿なのか、いまだ明確にははかりかねているのですが、かといって、数もそれぞれ、増えてもいない、とはいえるかと思います。
なのに、増えていると思えるのは自らを卑しめ、悪意や悪行を正当化することしか頭にない者達でしょうか。犯罪行為もものともしない、酷い行い、ことば、醜い心をそのままにその行為言動を押し通すことしか考えていないように見えます。そして、いつも弱い人たち、小さなものたちばかり狙います。そんな現状の反映でしょうか。変節しなかった前原国交相 ― 2009年09月23日 20時00分00秒
鳩山内閣の何人かは、選挙中と成る前と政権形成後の就任時との違いがめだちます。マニフェストどおり、と明言しながらも、気が弱いのか、何も理解していないのか、一貫性のない言動にはちょっと疑問を感じます。その中で、今日の前原国土交通大臣は地元に行ってもなお、八ッ場ダムの建設中止を変えませんでした。反対派の地元女性が言ったように、水没するのに賛成を表明して住民説明会には参加しない、というおそらく自己矛盾を抱えた人たちの存在すらあるこの現状で主張を変えなかったのは評価できます。
しばしば、『現実には…』だとか『現状やこれまでを理解して』とかいうことで折れたりなびいたり腰砕けになったりして期待はずれで何のため、というケースが見られる中ですから、このままそもそもの議論や原因・成因を振り返り、本当に必要なのか、さらにはやり始めたから止めるわけにはいかない、式の本来理由にならない推進行為を見直し、国民に支持された方向と姿勢と財政を主眼に置いた変革を曲げないでほしいし、旧来型のやり方を壊してほしいと強く願うところです。でも、心配です。鳩山首相の気負いとためらい ― 2009年09月24日 20時36分27秒
鳩山首相は米ロ首脳と相次いで会談したようですが、どうも抑制気味の気負いを感じます。実際それは、我々が耳にした中では、温暖化を巡る会合での演説にみてとれます。スタンフォードに留学し、Ph.D.を取得した首相の英語とは思えないスピーチにそれを知ることができます。また、オバマ大統領との会談も本来ならもっと率直な話をすることもできたはずで、どこか、はじめの慎重さが裏目にでかかっているようにかんじました。友愛はおおいにけっこうなんですが。
わたしなら、と一介の貧乏庶民の口出すことではありませんが、季節も変わり目、自身のたまうところの歴史的転換を成し遂げたのですから、CO2削減25%の勢いと気持ちを世界の指導者個々人に対してももっと発揮してよかったのでは、と少し残念です。確かに、とりわけロシアの相手はしたたかで強情ですから一筋縄ではいかないのはわかるのですが、オバマ大統領に一つでも主張したあとで理解と意見を得て、メドヴェージェフ大統領に対しこちらも引かない姿勢を表してもよかったのではないでしょうか。秋の荒れ地の双璧 ― 2009年09月25日 20時20分20秒
食い止める、阻止する、跳ね返す、そんな姿勢と気概がかつての明治の人たち以来、わたしたちの国にはあったはずですが、次第にそれも、いえ、平成になって急速に失われつつあるように感じられます。望まれるのは純化した心の精神的な背骨でしょう。揺るがない、折れない、簡単には倒れない、そんなある種の強靱さ、染まらない姿勢こそその昇華された姿の現れとなるのです。時に、そんな精神と気概が必要となるのです。
蔓延る汚さや気持ちの悪いほどの同質性、耐え難い空気・雰囲気を崩さない集団性、そんなものはセイタカアワダチソウと一緒になぎ倒して根絶させなければなりません。放っておくとどこにでも見境無く増殖していく中で本来あった、いえ、まだ残っている大切な種や根っこを食いつぶすように侵食して奪ってゆく、そんな現在をただ黙って見過ごすわけにはまいりません。









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