好天の人生2009年11月23日 19時36分03秒

青蓮寺の大イチョウ
今日は朝から寒いにもかかわらずすっきりと晴れて日中は南側は暖かい小春日和といったところだったでしょうか。もし何も「天の声」も雑音(つまり、他人の醜い声)もなければとてもいい日だったはずです。私的生活が保たれ、個々人が互いを尊重し合い、手を取り合って前に進むべく行動する、そんな健康的で暖かな気持ちをもった人たちばかりなら、この世は春の続くすばらしい日々を過ごせるでしょう。

城山から下って大イチョウを見にいきました。西からの太陽でちょうどいい具合に照らされてまあまあの写真になりました。この木は古いせいか、よく色づいていて、もうかなり落ちはじめてはいましたが、道一つ隔てた館跡のイチョウの緑の残る姿とは対照的です。背景の山の冬色を後ろに映えています。これもまた、晴れていればこそ、の美しさです。

何もしていないのに、誰とも話していないのに、もちろん、何の機会も接触もなかったのに、「今度は。。。」とか「もう。。。」とか言って(天の声)貶めたり脅したり、否定的な言動を繰り返したりして苦しめることに喜びを見いだす輩がいます。どこから、なぜ、なんのためにそんな行為や言動に及ぶのか、まったく理解不能です。現実に何か、たとえば私によって、何か起こったでしょうか。答えは否、です。また逆に、私は誰かによってなにがしかの行為により利益をうけたでしょうか。そんな事実が過去に一度でもあったでしょうか。答えは、もちろん、否、です。そういった、訳のわからない、おそらく文化も(つまり、言語も)異なる輩からの無責任で一方的な声には耳を貸すわけにはいきません。人生、他者によってねじ曲げられても、奪われてもならないからです。これは、当たり前すぎるくらい、当たり前のことです。