思いこみは不幸2008年10月17日 21時31分14秒

穂のノビタキ
刈り終わった田んぼの穂の上、ノビタキがまたやってきていました。移り変わるパノラマのように自分を回しながら写すのは秋の変わらない風景でした。そうやって見ているとそのままを見つめることに馴化できてくるのに気づきます。ノビタキはそれを教えてくれたのです。でも、人はそうしないことで互いを不幸にしています。勝手に思いこんで決めつけ、それでまた他者を攻撃したり排除したり、そんな意図をもつようになってくるのはあまりに不幸です。

決めているのは互いの距離、つまり視程と空気をもった空間です。声が聞こえるかどうかはさらにその人それぞれの感覚の状態と心理状態、その間に意図的な指向をもたらすのかどうか、といった意思の問題によってきます。その結果により、一方的な思いこみが生じると、他者は見えなくなり、その声も音も聞かれなくなります。それがなお更に思いこみを深めてしまうのです。だからこそ、聞く耳を持つ、見る目を持つ、感じる心を持つことが必要になるのです。

理解と信頼は頼るものでもなく、寄りかかるものでもなく、依ってきまるものでもありません。ただ、その人自身の心の持ちようにかかってきます。もっと易しくいえば、気持ちの持ち様により変わってくるのだともいえます。心身の状態、健康の善し悪しにより違ってくるのです。恣意的な見方ややり方、考え方の偏りや一方向の圧倒的な押しつけは大きな不幸なのです。自らさえ失っていくことに気づかなくなってしまうのです。

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