現存する反射炉 ― 2013年02月24日 20時08分33秒
日本の近代化の必然的過程の始めに各地で建設された溶鉱炉の嚆矢として今も残る実用炉。きょうは午後は空いたので出かけました。ただそれだけの塔の煉瓦です。それはしかし、いわゆる攘夷運動や対外防備のひとつとして大砲などの製造に使われたわけです。その意気込みや構えは今の対中国の比ではなかったはずです。当時を偲ばせる姿でした。明日の日本を通し見るとき、そのやむにやまれなかった時の人たちの気概はどれほどだったでしょうか。
こども連れで何家族か来ていましたが、こどもたちに幕末の人々の思いや真剣さは理解されるのか、もっと実際的な物語や前後する行動、言論などがここに同時に展開されると近代化の遺産のひとつとして、こどもたちだけでなく、大人たちにもよい刺激と見直しにつながると思うのです。その意味でも、上から目線のことばですが、啓蒙、という方法は充分な価値を持つはずです。
岐路にさしかかっている我々の国。米国の壁に適当な「判断」で断り書きを残しても首相は何も見えていません。同じく萩の反射炉を築いて対英の勝ち目のない戦争に挑んだ祖先に彼は何も学んでいません。『行ってくるぞと勇ましく...』のことばはそのまま彼に当てはまるようです。毅然として、EUに対するイギリスのごとく、米国や追従者たちに屹立した姿を我々に見せる気概を発揮して欲しかった、そんな思いさえ、快晴の空の下、厳然として堂々とした反射炉の2塔を見ながら抱いた午後でした。コメント
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