咲きし花は ― 2011年05月24日 10時41分50秒
きのうから道の傍らに目をやるとそのアザミの多さに目を惹かれます。朝早いと色合いはおとなしく、日中の鮮やかな濃い紫とは異なった風情です。それでも、この花をみていると、「あざみの歌」(横井弘詞・八洲秀章曲)を思い出します。思わず口ずさむ気持ちはやはり、その歌詞の通り、女性を想う心のなせるところのようです。遠い春を思うとき、その辛さは誰と分かち合い、誰に伝えましょうか。
それにつけても、困った人たちには悲しくなります。生活のため、その名目で為される、建設という名の破壊、誤りを認めるどころか、聞く耳も持たない態度とごり押しや拡大さえ厭わない姿勢、とても人間とは思えない身勝手この上ない言動、荒んだ環境や心を当然視するかのような無感覚、視野や了見のあまりの狭さ、などなど、挙げればキリがありません。どうしてこうなったのか、なぜ直そうとしないのか、私には理解できません。
翻って、現在の日本国内の状況に目をやれば、とてもそんな幼児たちにかかずらわっている暇などない、と気づかされます。頼りにならない政府やまさに身勝手な企業の為せる所為の意味のなさ、遅々として進まない現状を見聞きするにつけ、もっと現実に進展させるためにはそんな暢気な気持ちではいられない、と身震いさえさせられます。このままほおっておいたのでは社会そのものが廃れてしまいます。とても、力強い日本の復興・新生などおぼつきません。コメント
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